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【対談】大学の名誉教授に聞く、シニア世代のリアルなお金の価値観。

こんにちは、編集長のSeinaです!

ますます高齢化が進む日本において、シニア世代の人達と協力し合って生きていくことは必要不可欠です。東京・大崎と埼玉・熊谷にキャンパスを構える立正大学の卒業生である私が、当時ゼミを担当してくれた秦野 眞名誉教授に教育やお金のテーマを中心にインタビューしてきました。シニア世代の当事者でもある秦野先生がどのように現在の社会を捉え、どのように過ごし、どんな生き方をしていこうと考えているのか、まとめました。

プロフィール

秦野 眞
立正大学名誉教授。大学では「金融論」と「経営史」が専門。35年に及ぶ大学教員のキャリアを経て、現在は大学並びに地方自治体の求めに応じ講演を中心に活動している。

「ジェロントロジー(加齢学)とサクセスフル・エイジング」「終い墓」「死後離婚」「親と子と相続」等々のテーマが中心。御年74歳。

インタビュアー

Seina
独立と同時期に離婚を経験し、フリーランスとして半年ほど過ごした後、法人化。秦野先生の教え子として、金融論のゼミに所属していた。著書に「分かりやすい提案書の3RULE5DESIGN」「今さら聞けないテレアポのキソキホン」など。地元・横浜での立ち飲みがマイブーム。

最近の活動内容

講演会活動と内容

――秦野先生、今日はよろしくお願いします。
こちらこそ、よろしく頼みます。

――以前、京都と東京を行き来して生活していると伺いました。現在はどのような生活スタイルを送っているんですか?

今の実態としては東京7京都3くらいの割合で過ごしているかな。 でも今後は京都半分、東京半分の予定。今は東京で講演会の仕事が多いからね。

大学から名誉教授会に依頼があって、声がかかるようになっているんだよ。

――名誉教授会という組織が存在するんですね。

そうそう。当たり前だけど名誉教授で構成されている組織でね、大学のいくつかの部署と連携しているんだよ。

立正大学には※デリバリーカレッジという取り組みがあってね、その活動の一環としてお手伝いをしていただけませんかと連絡があるから、そこで可能な人は自ら手を挙げるんだ。

そこでどんなテーマを話せるかと聞かれるから、それぞれの教授が得意なテーマで話すという訳だね。

講演会を何回もやっていると、講演先でまた声がかかり勉強会をやってくれと言われたりする。だから東京では講演会と勉強会の活動が中心になるかな。

でも決して多くの講演料をもらうわけじゃないよ。京都と頻繁に往復したらお金かかるから、講演会や勉強会のスケジュールに合わせて1週間とか2週間東京に滞在することが多いね。

立正大学において多岐に渡る分野の専任教員と名誉教授陣が直接各都市に赴いて、「知的刺激と感動を得られる生涯学習」の機会を提供する社会貢献事業のこと

――講演会では主にどんな内容を話すのでしょうか?

うーん、そうだねー。高齢化社会の中で生きる我々の現在の立ち位置、将来の予測、リスクに備えた対策、というような話だね。

「高齢化社会における、人生100年時代の中での人生戦略」という大きなテーマと、「お金の魅力と魔力」という個別なテーマがウケているね。

――講演会で大切にされていることはなんでしょうか?

私が大切にしているのは上から話すのではなく、当事者として話すこと。当事者だからこそ話に共感してもらえるし、例えばお金の話も私が一当事者として困っていることを共有できる。

教員時代に得た知識や知恵を、退職した当事者である僕の体験や感覚と融合させて話せるかが重要だと思うんです。

僕は退職後に老年学会というものに入会したんだけどね。そこでHERSを中心に研究をしているんだ。

HERSのHはHealth、健康。EはEconomy、経済だね。RはRelation、関係の問題。SはSystemだ。健康と経済の問題はもちろん大きいのだけれど、そこには地域社会との繋がりや親子といった人間関係の問題が実は大きい。

健康と経済で沢山の課題を抱える我々がどんな関係を築きながら生きていく必要があるかという観点で話すと結構反応がいいんだよ。

 

事業の発足に向けた動き

――講演会以外にも新たな事業の発足に動いていると以前伺いました。どんな事業をやろうとしているんですか?

教育を中心に携わってきたから何かそこで還元したいという志はずっとあってね。具体的にはNPO法人を立ち上げてこども食堂の運営や、貧困で勉強できない子供の学習のアシストを考えたよ。

――何故そのような領域にチャレンジしたいと思ったのでしょうか?

実は25歳から35歳まで私塾の学習塾を経営していてね。特に非行少年を扱っていたんだ。もう24時間運営していたようなもんだったね。600人位の生徒を卒業生として出したのかな。

一番忙しかった時で小・中・高・大までサポートして教員も12-13人いたと思う。僕はその経験を経て私は大学教員になったんだよ。やっぱりその経験を活かせるんではないかと思って。

でも色々動いたけど中々上手くいかなくてね。35歳から75歳までの40年間、ほとんど立正大学という組織にいたからそこから広がる人脈はとても大きいし、得るものも沢山あった。

だけれどもいざ京都に帰ってやろうとすると、中々また一から人脈を築くというのは難しいんですよ。特にNPOという非営利団体を運営するとなると、関係性が重要だからね。やはり一朝一夕にはいかんね。

こども食堂の場合は場所、料理スペース、機材や食器の準備を考えた時に場所の問題が大きくて。それを解決するためには地域の影響力のある方と繋がって交渉する必要があった。

料理人の確保やPRの問題もある。もう立派な会社組織のようなものを運営しないといけないわけだ。

体力的な問題や資金も限られていることも考えると、事業の運営者になるのではなく、自分がこども食堂の皿洗いというパーツを担当するといった関わりの方が現実的だな、と考えが落ち着いたわけです。

――試行錯誤をしながら現実的にできる関わり方にシフトしたのですね。その他の事業にもチャレンジしたんでしょうか。

トランスジェンダーや高齢者の出会いをマッチングしていく場所を作ることも考えました。実際に、牧師さんがそういう活動をしている事例もあるんですよ。

例えば高齢者同士の結婚と言うのはかなり難しい問題もあって。相手に先立たれてしまって、死ぬまでにもう一度結婚したいと思う人は結構いるもんでさ。

本人同士は結婚したいと思っているんだけど、財産の問題があるからその家族に反対されるということがあるわけ。

ただ、お互い好きなもの同士で一緒に住めば籍を入れなくてもいいんじゃないかという意見もあるが、一緒に住むとなると居住権が発生するから子供も黙ってないわな。

だから、離れ離れで付き合うだけにしようとかね。今そういったNPO法人の役員をやってるからこれからどんな風にその機会を広げていくか模索中といったところかな。

――学習塾の経営にチャレンジしたのは何故だったのでしょうか。

当時、大学教員を目指すのにはいくつかのパターンがあってね。一つは予備校でアルバイトしながら論文を書いて大学教員に応募して合格を目指すというもの。

もう一つは予備校バイトが面倒だから学習塾を経営しようというパターンだ。つまり僕は後者だね。

学習塾の経営をしていたやつらの中には学習塾の経営で儲けて、自分のキャリアを経営に切り替えたやつもいたなぁ。

僕も思いのほか自分の塾が流行ったんだけど、ある時にパートナーと言い争いになったことがあってね。争点は学習塾をビジネスとして捉え経営するのか、教育をビジネスにしたらあかんのか、の議論。

その時に、ビジネスとして学習塾を経営していたやつらは大分儲けただろうね。

僕は教育でお金儲けをしちゃいけないと思っていたから、そんな思いを持ちながら学習塾を経営するなんて無理なんですよ。結局10年でやめちゃった

今後の活動

チャレンジしたいこと

――若い時から色々チャレンジされた秦野先生ですが、これから実現したいことはなんでしょうか?
さっきと重複するけども、一つはNPOの立ち上げをして貧困家庭に対して食や学習を提供して子供の健全な成長に寄与したいというのが僕の継続的な思いとしてある。

もう一つは、奥さんが経営している会社の一室が空いているのでそこに図書館を作って子供に参加してもらいたい。本の貸し出しと学習塾のようなことをやりたいと話をしていて、それによっても生活が一気に変わるだろうね。

――秦野先生はおいくつになってもアクティブですね。

そういわれるんだけど、僕からしたらやっぱり年齢を重ねていく内にだんだん衰えてくるから、誰に財産を残そうかとか、あなたの事業にどれくらい投資しようかとか現実的に考えるわけですよ。子供がいないからね。

常に未来に関わりたいという気持ちがあるけれど、子供がいないので選択をしなければならない。僕の面倒を誰が見てくれるのかというような問題もあるしね。

だから常に当事者として今の僕が何を出来るかリアリティーを持って考えているんだよ。

 

社会のあるべき姿

――なるほど、ありがとうございます。では少し話を教育に移させてください。今後の社会のあるべき姿についてはどのように考えているのでしょうか?

小・中・高・大と市の産学連携や、青年会議所や商工会議所で年寄りの経験や知恵を借りるだとか、地域の自治会に語り合うとかが必要だと考えている。

個人じゃなくて、横断的な機関での連携、産官学の連携が必要ということだね。

僕は女性が品川区で活躍できる場所をつくるために、品川区と立正大学と中小企業家同友会という経済組織が力を合わせて彼女らが活躍する組織を作った。

そこで大事なのは非血縁関係の中で横断的な組織を作っていくことだね。血縁関係で組織を作ると利害関係がどうしても発生するから大変なんだよ。

そういった非血縁関係の横断組織は社会教育上必要じゃないかな。それが結果的に高齢者を活かす街づくりにも繋がると思っていて、その話を実際に地域に持ち込んでいるんだよ。

僕はその当事者でもあるし、自分の経験や知識を活かすことに繋がるからね。これは僕がボケないための行動でもあるし、地域貢献に繋がるなら僕のエンディングとしてもまあまあ良かったなと思えるじゃない。

――当事者として社会問題を捉えることが非常に重要だとお感じになっているのですね。

いやもうね、自分のこととして理解しないと知識なんて役に立たないですわ。理論やセオリーなんてものは個のことを理解しないとリアリティーが無いんです。

私も当事者として問題を抱えている立場で話すから、「あいつも年寄りの割にはまともなこと言ってるんじゃないか」と共感して耳を傾けてくれるんだよ。

老後資金の確保のためにもいろいろ考えているよ。デイトレーダーもやってみたけど、簡単に稼げないだろ?じゃあこの年で貯蓄するか?そんなことを自分が考えながら実践してきたから話せるんだよ。

成功も失敗もしたことも含めて話していくことで初めて当事者として相手と対等に話が出来るんだと僕は思うよ。

――年金問題に直面するシニア世代の当事者として、秦野先生のお金に対する価値観を教えてください。

まず大前提として70歳になってお金に苦労したくないというのはある。それは70歳までの生き方によって大きく変わるわな。

冷静に考えて老後に2000万も必要と言われたら、「えーそんなに必要なんだ」と大半の人が言うよ。この年から働いて稼ぐのは無理だけど生きていかなくちゃいけないんだからもうこちらも必死ですわ。

君たちとお金の感覚が違うのは、「自分が頑張れば幸せになるための十分な所得を確保できる」という幻想を描ける年なんだよな。

ところが70歳過ぎて体が動かない、社会からも相手にされないとなると残った貯蓄と年金で残りの20年をどう生きるか真剣に考えなきゃいかんわけよ。

僕は、70歳まではお金の価値、大事さはわかってなかったね。70歳までは幻想としてのお金はあっても現実として受け止めれないのが実際のところ。

70歳以降はまさに明日活きるか死ぬかのリアリティーの中で本当にお金の重要さを感じるようになったよ。お金というのは人生論みたいなもんなんだよね。

悲惨な例を言えば、人は100万1000万で殺し合いもするわけです。それにね、思いやりがどうとか人に優しくしようとか言うけど、ある程度衣食住が満たされてなかったらそんなこと考えられないですよ。

でもかといって殺し合いするようなものでもないでしょう。僕がお金の魅力と魔力と言っているのはそういうこと。民度が上がってないとお金に対する価値観は向上していかないね。

そういう意味ではアメリカの方がお金に対する価値観がはっきりしてる印象がある。

あなたなんか老後の時に2000万円くらい貯金できてそうだなと思うだろ?でもそこには何の根拠もないわけだ。そこにはリアリティーがないよな。僕からしたら何を甘いこといっとるんだという話なわけだよ。

金融庁が報告した、「老後2000万円問題」が話題になっているね。世の中の高齢者夫婦の平均所得は平均23万位、平均支出は平均26万円位だから3万円の赤字。

加えて、年寄りは何かとお金がかかるので諸々費用がかさんで年間で約100万円の赤字だ。高齢者になってから約20年間過ごすと合計で2000万円っちゅうわけだ。

その3万円の怖さのリアリティーとあなたたちの3万円の感覚の差は怖いほど違うんですよ。これが僕たちとあなたたちの金銭感覚の違いだと思ってください。

――お金の問題だけではなく、社会の様々な課題もシニア世代と私たちの世代が手を取り合って協力していけたらいいですね。

そうだね。僕たちも自分の知識や経験をこうやって役立ててもらえるなら、良かったのかなと思うよ。また是非僕にも教えてください。

――はい!沢山お話しいただきありがとうございました。

えぇ、こちらこそありがとう。