おはようございますこんにちはこんばんは。編集長のSeinaです。
ライターってなんだか楽しそう!副業にピッタリ!誰でも簡単に始められる!そんな謳い文句で、無数のライターが誕生しました。
かくいう私も、必要に迫られて記事を書いていたら、気づけばライティングの魅力にどっぷり浸かっており、毎日記事を書くのが楽しみでなりません。
メディアを運用して、自分で記事を量産するようになって振り返ったら30記事10万字を書いていたことにふと気づきました。
プロライターから見ればなんてことない数字ではありますが、意外と10万字書くって大変。ここまでの成果と学びをまとめておきたいと思います。
私は、自分のメディアに自分で投稿するので、基本的に書く内容の縛りがありません。もちろん、メディアにふさわしくない記事は書きませんが、自分の体験談を基に一定数の記事を書くことは比較的簡単です。
古い出来事も思い出しながら書くので、想像力を働かせながら記憶を辿り、文字を紡ぎだす作業は中々面白いもの。当然、過去を振り返りながら記事にするわけですから、自然に自分の人生を棚卸すること繋がります。
当時はネガティブに捉えていることでも、今思い返すと人生の肥やしになったなぁと感慨深い気持ちにもなります。人生の思い出を写真や動画ではなく文字として残しているので、いつでも当時の想いを振り返れるのが良い点です。
最近気づいたのですが、あれ?これってもうやってることYouTubeと変わらないじゃん!そう思うようになってきました。最初は自分の体験から記事を書いていくのですが、だんだん書くことが無くなってきます。
そうなると、新しい記事の元ネタになる素材が必要です。脳みそは不思議なもので、アンテナが広範囲で張り巡らせてるような感覚になり、街中を歩いているとピーンとネタが降りてくるのです。
電車に乗ってる時でも頭の中は「こんな記事書いたら面白いって思ってもらえるかなー、こんな連載企画やったら絶対ウケるな」みたいなことを常に考えている自分がいるのです。
だから、自分の周囲にあるものは営業マンにとっての見込み客みたいなものです。気づいたら自分の情報感度が高くなっていることに気づかされました。
前述のとおり、頭の上でアンテナがくるくる回っている状態で日々過ごしているので、ハプニングや事故、一見不幸な出来事も「お、これネタにできる!ハプニングきたー」と脳が勝手にポジティブ変換してくれています。
そのため、体感値ではありますがストレスを感じる場面が相当減りました。そりゃそうですよね。残念な出来事が記事になったり、SNSで投稿する元ネタになったりするわけですから。
つまり、残念な出来事がビジネスに繋がる導線が出来ている訳なので、脳みそはよだれをすすって喜んでいる訳です。
当たり前ではありますが、言葉に対する感度も当然上がります。
“寝る間も惜しいくらいライティングが大好きになりました”
“ライティングが人生の一部になりました”
“気づけばライティングの魅力にどっぷり浸かっていました”
“気が付いたらライティングの虜です”
“いつの間にか僕の心を掴んで離さない存在になっていた。それがライティング”
前後に置く言葉との相性や、語感、文脈が気になり、1ワードを表現するのに10分20分手が止まって唸っていることもよくあります。
人と会話する時も同じで、頭の中でライフカードのCMばりに単語が書かれているカードが沢山出てきて、よりふさわしいワードをチョイスするようになったと感じています。
気づいたら読書をしたい自分がいます。本を読む目的が、本の内容から学ぶだけではなく、言葉や言い回しから学ぶ楽しみも増えたからでしょう。
どうやら読みたい本のジャンルも広がっているようで、ビジネス書の中でも特定分野しか関心が無かったのですが、久々に前に読んだ小説を手に取って読み返したりしています。
いわゆる“ゾーン”に入ることがありますが、もうこうなったら無敵です。記事を書く際、通常は脳で考えたことをアウトプットして文字にするわけですが、ゾーンに入ると考えた時にはもう自動的に手が動いてる状態です。
非常に騒がしい店内で作業していた時でも周囲の雑音が消え、自分がパソコンの画面とタイピング音の中だけで生きているような、そんな感覚です。
ただ、ゾーンに入る場所を間違えるとこれはもう大変です。最近、電車内で暇さえあれば記事を書いているのですが、電車を乗り過ごす確率が激増しました。
気づいたら降りる予定では無かった駅で電車を降りてしまうし、乗り換える予定だった駅で気づいたら改札を出てしまってその場に立ち尽くすことも。これでは集中力が上がったのか下がったのかわかりませんね。
ここまで見てみると、メリットしかありません。特段弊害が無く、今の自分に必要な能力が丁度よく備わっていっている様な感覚になります。
ただやはり難しいのは、ライティングには正解が無く、自分が自信を持って書いた記事が本当に役に立っているかの判断はつきません。
誰かにとったら非常に役に立った無いようでも、他の人から見たら時間を無駄にしたと思う人もいるかもしれません。そして、言葉が持つ力は非常に強力であるため、発信するならば責任を持って言葉を吐かなければなりません。
場合によっては鋭利な刃物のように武器になるものだからこそ、読み応えのある記事を書けるように勉強を重ねる必要があります。
敢えて弊害が今後あるとするならば、記事の執筆に執着するあまり、経営がおろそかになるくらいでしょうか。まず、そうならないとは思いますがこの記事自体が一つの予防線になることを祈っています。
今記事の執筆をお願いしているライターさんの中には毎日1万字から2万字を平気で書き上げる方がいらっしゃいます。
文字数を沢山かけること偉い訳ではありませんが、私が経験していない世界をきっと沢山見ていることでしょう。
今はクラウドソーシングサービスの発達により誰でもライターになれる時代。ただ、ライターの力を借りたい企業からすれば、魅力的な記事を書ける方はほんの一握りだそうです。
誰でも名乗れるけど、奥深いライターの世界。また折を見てライターから見える視点を共有したいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。