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【対談】父が僕に会社を継がせなかった理由と本田宗一郎の関係。

こんにちは。編集長のSeinaです。

僕は、この世で誰を一番尊敬しているかと問われたら、真っ先に父の名前を挙げる。バイクのレーサーとして活躍した後、自分のバイクショップを立ち上げて会社を興した。

会社をたたんだ後も、ネットでバイクパーツの販売を行いながらデイトレーダーとして休む暇もなく暮らしている。現在69歳でありながら、エネルギー全開で毎日を全力で生きている。

約40年間の経営者人生で、1代で7店舗の会社を築き上げた父は、結局誰にも承継せずにたたんだ。父の想いがどんな背景によるものだったのか。親子対談の内容をまとめました。

創業

創業の背景

ーー改めて会社を創業した背景の話を聞かせてもらってもいい?

独立したのは1975年、俺が23歳の時だったかな。それで会社にしたのが26歳。自分の店を作ろうって18歳ぐらいの時から思ってたね。

その頃からノートを買って、店の名前の候補とか独立したら何が必要かを書いてたよ。

たまたま会社を辞められる状況が来たから独立する準備に入ったんだけど、はじめは墨田区に9坪しかない2階建てのお店で始めたなぁ。

それで、地域の販売店さんに挨拶に行ったんだけど、とある販売店さんに「パンをかじってでも頑張れよ」という一言がすごく効いて頑張ろうと思ったね。

創業時の目標

ーー創業したときに目指していたこととか、目標ってあったの?

俺としては成功するとか全然頭になくて、とにかく自分の店を始めることだけが目標だったんだよ。

資金的にも3ヶ月持てばいいかなって思って始めたから、どうやってお店を知ってもらうか沢山考えたね。まずやったのは、バイクで通勤している人に店を覚えてもらうために7時半にお店を開けた。

それから朝の通勤中に故障したら朝預かって帰りには乗って帰れるようにしようっていうのががもう一つの狙いだったね。

とにかく腕には超自信あったのよ。周りの販売店では難しくて直せないようなバイクを俺直してて、販売よりも修理に力を入れてたかな。

当然修理が出来れば次のバイクを買う時に、またお店に来てくれる。そしたら2年目には販売台数で地域NO.1になって、3年目にはもう断トツで1位だったな。4年目には9坪から50坪の店に拡大することができて法人化したから結構とんとん拍子に成長したね。

承継

承継に対する考え方

ーー事業承継についてはどんな風に考えてたの?

 

会社を継がせることは全然考えてなかったな。そもそもホンダで働いていた時に俺は本田宗一郎イズムに非常に感動してた。本田宗一郎さんが息子に会社継がせないと知っていたのでその影響が非常に大きかったよ。

本田宗一郎は、自分の身内で会社をするのではなくて、会社組織の中で経営していく気持ちが強かった。もちろん本田宗一郎のせがれが後継者としてふさわしい人物だったら考えていたと思うんだ。

でもそれ以前に、会社は自分個人のものではなく、お客様と従業員のためのものという考え方がしっかりしていた人だったから、俺もそこは物凄く大事にしていたな。

 

自分や社内に承継をしないと決めた理由

ーーそっかー。自分に継ぐことを諦めた瞬間ってあった?

学校時代に訪問授業で会社に来たことあったよな。友達と3人で会社に来た時のバイクのいじり方を見てこれはちょっと俺と血筋が違うって思ったね。笑

あとバイクの乗り方も見てて、あーこれはダメだなって思った。笑

それで、セイナに承継することは諦めたな。後継者候補もいたから、本当は早めに社長辞めて継ぎたかったんだけど、いろんな社員が入ってきたりしたときに派閥が起きてその子が辞めてしまったんだよね。

業界がピークを過ぎてしまったこともあったし、メーカーの体質が変わってきちゃったのもあって結局承継はしなかったよ。

会社をたたんだ理由

ーー最終的に会社をたたんだ理由って何が一番大きかった?

やっててもなんか面白みがなくなってきたのが大きいかな。そもそも、楽しくバイク屋をやっていた訳だから楽しくないバイク屋はどうかなって思っちゃったんだよ。

お店をやってることそのものに嫌気がさしたから全部で7店舗あったやつを本社一箇所にしてお金しちゃった。会社を整理するために借金もしてたのでもうこれはやめようと思い、本社もたたんだな。

それは今から14年ぐらい前くらいだね。メーカーと販売店のギャップが大きくなりすぎて、このままやってるとメーカーの管理会社になるって感覚に襲われたのよ。

かつ、自分の描いた会社がやれなくなる感覚が非常に強くなって、面白くないこともやるのが嫌いだったからたたんじゃった。実績がそれだけある店が急にやめるって言う事は普通考えないんだろうけど、俺はね、辞めたかった。

会社をたたんだ時に感じていたこと

ーー40年くらい経営してきた会社をたたんだ時ってどんなこと思ってたの?

まずは両親に感謝を伝えに言ったよね。こんな風に育ててくれて本当にありがとうって。あとは、やりたいことをやらしてくれたかみさんにものすごく感謝したね。

経営をしていた頃、お店を大きくする時に奥さんがブレーキになるってずっと言われてた。でもうちのかみさんは一切言わなかった。2億もお金を借りるなんていう時に普通の人は絶対反対すると思う。

俺は本当に自分のやりたいことをやれたと思う。お客さんと従業員にも感謝を感じていたな。うちの会社はお客さんに可愛がってもらって育ててもらった会だから。

それとバイクショップなのに従業員が事故で死亡者が出なかったのも自慢だな。うちの会社で働いてくれた人全員に感謝してるよ。

後継者不足で悩んでいる経営者について

ーー最後に、後継者不足で悩んでいる社長に対して伝えたいことある?

そもそも後継者不足って考え方が間違ってんだよ。後継者候補なんでいくらでもいるじゃん。その会社で一緒に働いてくれたメンバーなんだから誰だって後継者候補になれるよ。

だから、不足している訳じゃない。その言葉は全く見当違いだと思うよ。だってその社員たちは自分と一緒に汗水垂らして働いている訳でしょ?そんな人がいるって素晴らしいじゃない。

 

ーー沢山聞かせてくれてありがとう。

おう。もっともっと話したいこといくらでもあるよ。また聞きたいことあったらいつでも言ってくれな。

まとめ

ここまでを改めてまとめると、

・創業時はとにかく自分の店を始めることだけが目標だった

・承継の際、会社は個人のものでないという本田宗一郎の考えにとても影響を受けた

・会社をたたんだ際、両親、妻、従業員、お客様への感謝の思いが溢れた

ということでした。実は私もインタビューをして初めて聞くことばかり。特に後継者にしない理由を聞いた時は驚きと同時に、ちょっとだけ切なくなりました。笑

是非皆さんもご両親のキャリアを聴く機会があれば思い切って聞いてみてください。新しい発見があるかもしれませんよ。最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事を書いた人

seina

独立と同時期に離婚を経験し、フリーランスとして半年ほど過ごした後、法人化。著書に「分かりやすい提案書の3RULE5DESIGN」「今さら聞けないテレアポのキソキホン」など。地元・横浜での立ち飲みがマイブーム。

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