こんばんは、編集長のSeinaです!
お父様の代から65年にも続く理髪店を経営しているHair SalonTAKagiの高木 亨(たかぎ とおる)さん。
神奈川県金沢区、六浦にある理髪店のリニューアルオープンと息子さんの美容院開業というタイミングでインタビューする機会をいただきました。
ご家族も本当に仲が良く、息子さんが美容院を開業する場所は高木さんのお店の真横。
そんな親子3代にわたって業界を盛り上げている高木さんの、現在に至るまでの背景や事業承継に関わるお話をたっぷり聞かせていただきました。
ーー本日は宜しくお願い致します!理髪店がオープンして65年目になるということですが、お父様が創業されたのですか?
えぇ、父が始めました。父は元々静岡出身なのですが、バック一つで先輩を訪ねて横浜に来たのがきっかけだったようです。
若い頃から床屋を将来的に開業したいとずっと思っていたみたいですね。父の実家も床屋さん関係だったのでその影響も大きかったのでしょう。
ーー開業に至るまではどのような経緯があったのでしょうか。
お店は昭和30年の8月にオープンしたのですが、横浜で修業を重ねながら出店先を探していたみたいです。出店場所は、野毛と六浦でかなり迷ったと聞きました。
ーーなるほど。お父様はどのような方だったのですか?
まあとにかく仕事をしている時の父は怖くて非常に厳しい人でしたね。いわゆる根っからの職人タイプです。
当時は”仕事は見て盗め“の時代だったので、言葉で説明してくれるなんてことは全く無かったです。
ーー高木さんも小さい頃からお父様の仕事を手伝われていたんですか?
えぇ、そうですね。小学校1年生の頃から髪の毛を掃いたら50円みたいな感じてお小遣いをもらいながらお店を手伝っていました。
父は「働かざる者食うべからず」という考えが徹底していたので、自然と仕事に触れる機会が多くなったんですよ。
僕の小学校の卒業アルバムには、将来の夢は床屋さんって既に書いていました。でも父からは一言もお店を継げとか言われてないんですけどね。笑
ーー小学校卒業後はどのように過ごされたんですか?
中学生、高校生の時は、家を手伝いながら駅員のアルバイトをしていましたよ。
高校の時は非常に忙しくて、高校に通いながらアルバイトをして、理容学校にも通っていましたからね。
理容学校というのは、基本的に通信教育て教材が送られてくるのでそれを基に勉強していきます。ただ、夏休み期間中は実技を学ぶために学校に行ってヘアカットの練習などをしましたね。
とても大変だったね、と言われるんだけど姉も妹も全く同じルートで過ごしていたから全く違和感は無かったなぁ。
卒業後は実家に就職して、父とは40年一緒に働きました。さっきも言ったように仕事に関しては本当に厳しかったので、よく叩かれてました。
何の説明も無しにとりあえずやってみろって言われて案の定上手くいかないので怒鳴り散らされることもよくありました。今となってはそれも思い出ですけどね。笑
ーー40年もご一緒に働かれたのですね!お父様からお店を継ぐという話は前々から出ていたのですか?
いや、しっかりした承継の話は本当に一言も無かったんですよ。
お前は後継ぎなんだからと言われて遠出することも旅行に行くことも許されないことも多々あったので、後を継ぐ気持ちはずっと持っていました。
ーー高木さんの中でこんなお店にしたいという考えはあったのですか?
父が亡くなる3年前から認知症っぽくなったんです。その頃からどんなお店にしたいかはずっと考えていましたね。
と言っても、バブル期に人を雇っていましたが、基本的にずっと家族経営でやってきたお店なんです。今も妻と二人で経営しているんですよ。
うちには息子が二人いるんですが、どちらも同じ業界に進んでくれて。だから私はどんな風にお店を継がせてあげれるかを考えていました。
父はずっと私のことをとにかく縛り付けてた。でも私はそんなことを息子に望んでいません。失敗してもやり直し気は利くんだからまずはやってみろ!そう言ってやりたいとずっと思って準備していました。
ーー高木さんご自身が経営する中で思い出に残っていることって何がありますか?
それはもう、あり過ぎて一言じゃ言えないなぁ。笑
奥様さんとの出会いも物凄い偶然だったんだよ。結果的に知人の紹介で出会って結婚したんですが、初めて紹介されたときはお互いに彼氏彼女がいる状態でさ。
因みに奥さんも違う理髪店の従業員をやっていたんです。まあでもお互いにそんな状態だったから話だけもらって、結局会わなかった。
それから2年後に奥さんが紹介してくれた知人に偶然会う機会があって、ひょんなことからまた紹介したいという話が出たみたいで。
奥さんが知人に偶然出会わなかったら僕の話は出てないですからいわゆる運命的な出会いというやつでした。笑
ほどなくしてお店のことも手伝ってくれるようになったんだけど、お互いプライドがあったから技術的な話ではよく喧嘩したね。
ーー奥様とも二人三脚で経営をする中で大変な思いをしたことや辛い時期もあったのではないでしょうか?
うん、そんなことだらけだったね。色んなことにチャレンジしたんだけど全部上手くいかなくてね。
フラストレーションが溜まりすぎて、例えじゃなく本当に胸が苦しくなる日が続いたこともあった。あまりにも辛すぎて命を絶とうと思ったことさえあったよ。
金銭的にも厳しい時期もあったから、家族で協力して寝る間も惜しんで働いた時期もあったなぁ。
父、母、姉が2年毎に亡くなっていったのも相当辛かった。でも俺には子供がいたから、何としてでもやらなくちゃという思いでここまで来たら何とかなったよ。
ーー沢山の辛い経験を乗り越えて今に至る訳ですね。息子さんはお店を継ぐことに対してすぐにOKしてくれたんですか?
直接的には継げといったことはないんだけど、秋田から息子が帰ってくることになってね。そこでお店の話にもなって結果的にはあっさりOKしてくれたよ。
でも、俺は父が突然死んで急遽店を継ぐことになった経験をしたから、息子にはそんな思いをさせたくなかった。
それに、父親と一緒に床屋を経営する上でこれは良くないな、と思ったことを全て排除して継がせたかったんだ。
その話に息子も共感してくれたみたいで継いでくれることになった。俺が元気な内は床屋はずっと続けるけどね。
ーーお父様の仕事に対するスタンスに不満もあったと思います。それでも、高木さんや息子さんが同じ業界で仕事を続けているのは何故なのでしょうか?
父のことを尊敬していたからだと思います。
仕事の時は本当に厳しいですが、休みの日になると非常に家庭的でした。
仕事を家庭内に全く持ち込まない人だったので、いろんなところに連れて行ってくれましたよ。
普段は忙しいので授業参観には中々来てくれませんし、長期休暇はありません。でも、日帰りで年に3,4回は旅行に連れて行ってくれてました。
仕事の場のプロフェッショナルな経営者である父と、家庭的で優しい父と両方を見ていたからでしょうね。
ーー高木さんは、現在も息子さんとの関係が良好で、事業承継もスムーズに行われました。そのポイントはどこにあったのでしょうか?
自分のずっと意識していたのは、子供が見てこの仕事かっこいいなと思える状況を作ろうと思っていました。
仕事の魅力を口で伝えり、強制的に技術を教えたことは一度も無かったね。
そして、プロとしての自分と、父としての自分両方を大切にして仕事以外の時は家庭を大切にするように心がけた。これは父を見て学んだことだね。
ーーお父様から学んだことをご自身でも誠実に実行されたのですね。
ーー事業承継に悩む人がいる一方で起業や独立など新しいチャレンジをしたい人も大勢いらっしゃいます。伝えたいことはありますか?
例え80になっても90になってもやりたいことがあるならチャレンジしよう!ってことだね。
年取ったからどうだから、分からないとかじゃなくてやりたいならやればいい。
「やるだけやってだめだったら、やめればいいじゃん、やり直せばいいじゃん。」
俺は常にそう考えてきた。
どん底を知っているからこそ、こんなピンチぐらいどうにだってなるって今じゃ分かるからね。
因みにpaypayってあるだろ?クレジットで決済できる奴。床屋でこんなの置いてあるところないんじゃないかなぁ。
俺もこれがどんなものなのか良く分からなかったけど、話聞いてみて良いと思ったから導入してみたんだ。
俺も分からないことだらけだけど新しいチャレンジは未だに続けてるよ。
ーー現在に至る背景から事業承継に至るまで、沢山為になるお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとう!
今回ご紹介した、高木さんのお店はコチラ↓
HairSalonTAkagi
営業時間:9:00-18:30
電話番号:045-701-7879
住所:神奈川県横浜市金沢区2-2-22
最寄り駅:京急線六浦駅徒歩1分
特に30-50代男性の利用者が多く、髪の毛のセットが不要になるセットレスパーマが人気だとか!
是非お近くの方はチェック!
因みに、息子さんとも少しだけご挨拶させていただいのですが、男性から見てもめちゃくちゃお洒落でかっこいい方でした。
男性でも女性でもこの人に切ってもらいたいと思う雰囲気をまとっていらっしゃいます。まず間違いなくすぐに人気のお店になるでしょう!
息子さんの美容院は11月にOPEN予定!いち早くインスタをフォローしてチェック!
@_3rd_place
最後までお読みいただきありがとうございました。