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卒業式で涙を流す人たちに全く感情移入ができないワケ

こんにちは。たろっちです。

皆さんは、卒業式で号泣したことがありますか?友達や先生と別れることになり、色々な思い出が頭を駆け巡り、思わず涙があふれる、なんと美しいでしょう。

でも、私は、涙を流してまで別れを悲しむことに共感できず、疑問にすら感じます。なんと薄情な!と思われた方もいるでしょう。いくつかの経験と私なりの考えで、感動を受け付けない体になってしまいました。

会おうと思えば会えるじゃん

別れといっても色々な別れがあります。

最愛の人を亡くす、大好きだったおじいちゃんが死んじゃったなどの別れは、未練や後悔が湧き上がり、どうにかしたくてもどうにもならないため、様々な感情がとめどなくあふれて、泣きます。

その涙は理解できますし、感情移入は当然です。

しかし、お互いの努力で、会おうと思えば会える人との別れに関して、「そんなに悲しいならいつでも会える方法を模索すればいいじゃん」としか思えません。

留学をする同級生を囲んで、涙する女の子たち

連絡をとろうとすればとれるじゃん、はっきりとそのように感じた体験談があります。高校時代、私の同級生の女の子がアメリカに留学することになった時の話です。

いつもニコニコしてて、誰に対してもフレンドリーに接する女の子でした。その子が留学することになり、担任の先生の音頭で、女の子を囲んで円になって座り、壮行会を行うことに。

1人ずつ女の子に言葉をかけていくことになりました。最初は男子から、それが終われば女子という流れだったのですが、男子が1人ずつ惜別の言葉をかける中、女子のほぼ全員、そして男性の担任教師が号泣しています。

「留学することでそんなに悲しむか?」と心の中で疑問に思っていると、私の順番。一言一句は覚えていませんが、すごいことだしその勇気が素晴らしいみたいなことを言いました。

背中を押してあげるのが、この場合は正しいと私は思います。でも、女子のほぼ全員は号泣して、男性の担任教師は嗚咽を。単身アメリカに向かう方が泣きたいはずだぞ?と言いかけましたが、それが反感を買うことぐらい当時の私もわかっていました。

だって、Eメールや手紙で連絡を取り合えるのに、泣く必要がどこにあるんでしょう?自発的に決めた留学なんだから、激励して送り出さないと。そのように感じます。

若くして同級生が亡くなったのに

こんな経験はしたくありませんが、高校を卒業して間もなく、私の同級生の女の子が肺炎でこの世を去りました。ご遺族の話を聞くと、どうやら医師側の誤診があった様子。親御さんからすれば悔やんでも悔やみきれません。

女の子には夢があり、いつも明るいその子なら叶えられそうな夢だったのを覚えています。その子のお葬式の話ですが、私としてはすごい落ち込んでいたわけです。

同級生がこの世を去る、しかも10代で。他人事ではないなと私は思いました。しかし、他の同級生たちは、突然やってきた同窓会のようなテンションで、とても明るい。

緊張感もなくベラベラと楽しそうに話してる。男子だけでなく女子も。それを見た時に、「卒業式での涙は何だったのか」と疑問が噴き出ました。

留学するだけで女子のほぼ全員が号泣してたのに、お通夜会場で泣いてたのは2割程度、何割かは楽しくおしゃべりしてる。そもそも留学した女の子だって、全員の女子と交流があったわけではないんです。

それなのにみんなで泣いて、ここではそこまで泣かないとはいったい。その経験以降私の中で、何かの節目で号泣する人に対する不信感がつきまとっています。

その涙、誰に対する涙ですか?

ここからは私の考えを。卒業式で私が全く泣かなかったのは理由があります。学校に対する思い入れがほとんどなかったからです。

中学校や高校はただただ精神的に辛かったですし、特に高校の卒業式では、ようやく自由になれると思ったものです。号泣する人を見ると、学校に対する思い入れが見受けられます。

あんなこともあった、こんなこともあったと思い出す中で泣いてしまう、それに関しては自然だなと思います。中学、高校のそれぞれ3年間が楽しかったからこそ、泣くんだろう。

自分は何も楽しくなかったし、教師という生き物がとにかく嫌いだった。それじゃあ泣けんよねと自己分析。だから、友達と別れるから泣くみたいなことではないんだなと思うわけです。

あくまでも思い出ありき。高校野球の球児たちが、負けて号泣するのも、結局は今までの思い出、辛い日々などを振り返っているからこそ。ずっとヘラヘラしてる人、たぶん泣かないですもん。

涙に騙されてはいけない

他人を慮って涙を流すのではなく、自分が経験した思い出に涙を流す。そう考えると、泣いてる人を見る目が変わります。感動というのは、自分の経験とリンクできるかどうか、そこにかかっていると私は考えます。

青春ドラマに多くの人が感動を覚えるのは、自らも青春を謳歌していたから。逆に青春を謳歌していない人、特に自分のような人間は、ドラマを見ようとも思わないわけです。

仕事の先輩や上司に厳しいことを言われて泣いてしまい、その後励まされると、たいていの人は、その先輩や上司を恩人と思うでしょう。ですが、その手口を常套手段にしているかもしれません。

素直に受け止めることもいいですが、割を食うのもまた素直な人間であることを心に刻んでおきましょう。あなたの素直な気持ちで流す涙を食い物にする存在がいる、それを知るだけであなたは強くなれます。

まとめ

ここまで書いていて、なんと薄情な人だろう、素直さに欠ける人なのだろうと思うかもしれません。しかし、人間は全員同じスキルを持っておらず、平等ではありません。

生育環境や人の縁、タイミングで、同じ指導を受けても180度違う捉え方をします。素直じゃない人はみんな悪でしょうか?感動する場面で感動できない人は、人間としておかしいでしょうか?私は違うと思います。

共感する力がない分、冤罪を訴える人を守ってくれるかもしれない。素直ではない分、別のルートから新規開拓ができるかもしれない。物事は表裏一体です。

人と違うことが当たり前だし、平等でないからこそ、その人にしかない能力が発揮されます。卒業式で感情移入できない学生って、結構多いはずです。

それでもいいんだと思えるような、多様性にあふれた日本であってほしいです。泣くか泣かないか、同調させようとすること自体、おかしな話です。

この記事を書いた人

たろっち

酒に競馬にアイドルが好きと、字面だけだと単なるダメ人間。スーパー意識低い系の自分から見える世界を、文章にまとめていくのが得意。ギャンブル系、アイドル系のお仕事、お待ちしてます。

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