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単なる傲慢?「良かれと思って…」という言葉を嫌うワケ

こんにちは、たろっちです。

皆さんは「良かれと思って…」という言葉を聞いたり、自分で言ったり、人に言われたりしたことはありませんか?たいていそれを使う場面は苦言を呈する、呈される場面です。

お前が嫌いなんじゃない、憎いわけでもない、お前のためを思って、良かれと思って言っているんだ、そんなニュアンスで使うケースがほとんどですよね?でも、それって本当に相手のことを思っているんでしょうか?

実はそのフレーズ、単なる傲慢な人間の言葉、そのように考えると、言葉の意味が変わりそうです。

本当に良かれと思っているのであれば最後まで面倒を見ろ

例えば、深夜に食べるおやつが大好きで、それが原因で太ってしまったとします。

「良かれと思って」あなたが発言するとすれば、「このままでは痩せられなくなるよ」、「病気になってしまうよ」、「前はきれいだったのにもったいないよ」などと言うのでしょう。

その一言に相手が過度に気にしてしまい、結果的に拒食症になったとします。それに対して、あなたはどう思うでしょうか?私の一言がきっかけでこんなことに…とあなたは本当に思えますか?

心のどこかで、私には関係ない、そんなもんは自己責任だ!と思っていませんか?この例は極端なケースですが、苦言を呈する割に結果に責任を持とうとしない方が実に多い。

あの時のアドバイスのおかげで立派になったと言う人に対して、あの時なんて言ったっけ?と忘れる人が多いですが、苦言を呈したのに結果責任を持たないのであれば単に傲慢な人間です。

自分への苦言も受け入れろ

苦言を呈すること、フィードバックをしてあげることは悪いことではありませんし、成長のためには必要です。苦言を呈する側は、随分と偉そうに迫り、変化をしようとしない人を、人間のクズのごとく否定しにかかります。

ところが、そのような人に限って自らに苦言を呈する存在は毛嫌いするわけです。それはなぜか。苦言を呈するという行為は、立場が上の人物が下の人物に対して成立しやすい行為です。

上司が部下に対して良かれと思って苦言を呈する、部下が上司に対して良かれと思って苦言を呈する、この2つの文、どちらに違和感を感じるでしょうか?特に後者だと、何様だ!と思う人がほとんどです。

つまり、良かれと思って発言するという場面は、上に立とうとする人物が下の立場の人間を指導するような場面。

「良かれと思って」という言葉で、サービスであなたの成長を助けようとしてるのに!という意味を持たせられます。お前のために時間を使っている、エネルギーを割いてる、そんなニュアンスもあるでしょう。

でも、上に立つ人間は100%完璧な人間なのでしょうか?

フィードバック一切なし、苦言を呈する箇所ゼロという人達なのでしょうか?神様なら分かりますが、もし自分自身を神様だと思っているのなら、思い違いも甚だしいと言えます。

上司にだって苦言を呈されるべき部分があります。意を決して苦言を呈した部下を、上司は何と言うでしょうか?多くの人は、偉そうに指図しやがって!と思うはずです。

結局のところ、フィードバックや苦言なんてものは、両者の関係の中で上に立ちたいからやっているだけに過ぎません。

もし、成長を促すためにやるのであれば、自らはそれ以上に成長スピードがないと成立しないでしょう。なんの根拠もなくできている!と主張するのであれば、やはり傲慢で謙虚さがありません。

相手への見返りを求めるな

良かれと思って…という言葉が出てくるのは、相手への苦言だけではありません。相手が助かると思ってアクションを起こして、それを否定された際にも出てきます。

家の手伝いをしたのにやり方が甘いと怒られて、良かれと思って…と言うものの、だったら迷惑だから自分でやる!と返されるなど、普段家事をやらない旦那さんがよく言われていそうなイメージです。

私の家庭は両親が共働きで、母親は料理をやるなどし、父親は洗い物などをやっていました。しかし、母親も父親もそれ以上はやらず、むしろ自分だけが家事をこなしていると被害者意識を持つような人たち。

私や妹などがテレビを見てゲラゲラ笑っていると機嫌を悪くし、口論に発展、家族全員で互いを人格否定するような環境でした。父親が母親を放送禁止用語で罵り、母親がペンで手を刺すようなシーンは見たくありません。

ですので、私は、率先して洗い物など家事をやるようにしました。自分を守るためです。相手への見返りは求めません。すべては自己満足、これ以上ゴチャゴチャ言われたくないからです。

人助けらしい人助けはしませんが、順番を譲るとか、接客をした店員にありがとうと言うとか、その程度のことはします。

仮に順番を譲った相手が何の会釈をしなかったとしても、私は腹を立てません。自己満足でやっているからです。

苦言を呈するにしても、自己満足ならいいと思います。俺が腹立たしく感じたからキレた、それでいいです。

そこにいい意味を持たせ、善人、優秀なサラリーマンみたいな態度を見せるからおかしくなるだけです。

積極的にダメ出しを求めてはならない

良かれと思って…というふざけた状態を許すのは、結局のところ、フィードバックされる側、成長したがっている側に問題があります。特に私が腹立たしく感じるのは、相手にダメ出しを求める行為です。

何か直すべきところはありませんか?こうした方がいいってところを教えてください!とダメ出しを促そうとします。

その行為は、とてもいい行為、成長をしようとする行為、あるべき姿だ!、そんな風に思っている人が多いですが、私からすれば、「結局大して成長できない無理をした人間」にしか思えません。

本人が自覚し、納得するからこそダメ出しは生きる

仕事のやり方などで苦言を呈される経験は誰しもが持ちますが、こうすればもっと効率的にできるのになぜお前はそうやらないのかと言われることで、なるほどそのやり方があったかと知り、実践します。

それを受け入れられるのは、今までやってた行為より明らかに代わりに提案された行為の方がいいように感じ、納得したからです。

もし、なんでもダメ出ししてください!と言って、ああしろこうしろと言われても、すべてが身につくとは思えません。

失敗をしたことで、改善しなければ!と思うからダメ出しが効果を持つのであって、なんでもダメ出しを求めるという考えは、何を失敗して何を改善すべきかを身をもって知っていない証拠です。

結局、「考えもつかないフィードバック」は排除しようとする

なんでもダメ出しをください、フィードバックお願いします!と言う割に、大して成長しないのはなぜか。それは、「自分の想像にはなく、重要性すらわからない」フィードバックに触れ、排除するからです。

スポ根ドラマなどで、一風変わった監督・コーチにユニークな練習をさせられて、これに何の意味があるんですか!と主人公など部員が反発するシーンがよく見られます。

フィードバックも同じで、想像もつかなかった言葉に触れ、それが何の意味を持つフィードバックなのか、別に重要じゃないだろ!と反発し、結果的に排除をすることに。

まずは実践し、トライアンドエラーを繰り返さなければ、生きたフィードバックは得られませんし、身にもつきません。

まとめ

私自身は、これをこうしてほしい、ああしてほしいと言われても、そういうものなのかと受け止めます。

考えもつかないフィードバックも、いずれその意味が分かるでしょうし、数年後の自分自身はその当時の姿を見て、バカだなぁと思うかもしれません。

人間は自分に激甘で、他人に激辛な生き物です。自分を肯定するあまり、今までの人生すべてを肯定し、まるで神様のように感じ、自分を育ててくれたやり方を押し付けようとします。

人の数だけ人格があり、性格があり、育ち方があります。それを自覚しないために、「良かれと思って」苦言を呈そうとします。

自分自身に厳しい人は、周りが自然に気付き、お手本にしようとします。背中を見せるとはそういうことなのです。

この記事を書いた人

たろっち

酒に競馬にアイドルが好きと、字面だけだと単なるダメ人間。スーパー意識低い系の自分から見える世界を、文章にまとめていくのが得意。ギャンブル系、アイドル系のお仕事、お待ちしてます。たろっちのtwitterはこちら

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