こんにちは、たろっちです。
先日、高校時代の同級生たちと食事に行ってきました。元々20人30人で集まる予定でしたが、都合が合わずに集まれる人だけで集まろうということに。
高校の卒業式で泣きもしなかったし、そもそも限られた人としかコミュニケーションをとらなかったのに、卒業して10年以上経って仲良くなるというのは不思議です。
それは置いとくとして、会話の中で、結婚したいがお相手がいないという男性がいました。こういう女性と付き合いなさいみたいな会話が女性陣から出る中、私の一言に、膝を打ってくれた人が結構いたのでご紹介します。
私がその男性に言ったのは、嫌いなものが一緒だったり、悪口を言って盛り上がったりした人と付き合えばいいということです。
最初、えっなにそれ?みたいな空気が流れましたし、ワインをデキャンタごと空けようとしてるやつが何を言ってるんだ?みたいな感じになりました。でも、いくつかの理由を挙げると、なるほど!と納得していただくことに成功しました。
例えば、趣味は音楽鑑賞と答える方がいたとします。音楽って結構種類がありますよね。J-POP、K-POP、レゲエ、ブラックミュージック、オペラ、演歌などなど色々とあります。これらは全部音楽ですから、音楽鑑賞になるわけです。
しかし、ジャスは好きだがレゲエは嫌いだとか、洋楽は好きだが邦楽は聞かないなんて人も。
趣味は何?
音楽鑑賞!
えー趣味合うじゃん!
付き合おう!と仮になっても、好きなものと嫌いなものがありますから、それがバッティングしたら、うまくいきません。
趣味が一致するといっても、コアな部分まで一致させないと不一致の部分でケンカを起こします。
皆さんには嫌いな食べ物があると思いますが、なぜその食べ物が嫌いなんでしょう。
牡蠣は、食べてお腹を壊したから嫌いという人もいますし、磯っぽさがダメという人もいます。何か経験をして痛い目を見た、不愉快な気持ちになったなどの理由で嫌うわけです。
思想信条もそうですが、親族の影響を受ける、成功体験や失敗体験で形成されます。つまり、これまでのその人物の積み重ねが、好きなものであり、嫌いなものです。
嫌いなものが一緒ならば、あなたと私は仲間だと感じられますし、自分のことをすべて理解してくれているような感じがするはずです。人生経験の中で、これだけは排除したいというもので一致すれば、好きな趣味で意気投合するケースより長く付き合えることでしょう。
話を食事会に戻しますが、「その考えは初めて聞いた、面白い!」と言ってくれた既婚者の女性がいました。その方は、男を見る目がないと言っており、私の持論を聞き、嫌いなものは何かを言い合う前に付き合ったと言います。
そもそも、好きな人がいる前で、私はこれが嫌いなんて言い始める人は少数派です。でも、お互いの嫌いなものはどこかで露呈します。俺は中華が嫌いだ、私はイタリア料理が苦手、ワインが飲めない、焼酎ってどこがおいしいの?などなど色々な好き嫌いが出てきます。
もし一方がワインが大好きで、一方が嫌いなら、折り合いをつけられるでしょうか?ワインに限らず、好きと嫌いがバッティングすることはたくさんあります。
これだけは譲れないというラインを平気で踏み越すかもしれない、それでも好きなものが一緒なら我慢できますか?我慢できたとしても一時的なものです。それが価値観の違い、方向性の違いなのではないでしょうか?
熟年離婚の話を聞いてると、今までずっと我慢してたけどあなたのこれが大嫌いだった!と言い放つ奥さんがいるそうです。旦那側は、そんなこと早く言ってくれればよかったじゃないか!
と憮然とした態度をとるものの、早めに逆鱗に触れておけば、傷は浅く済んだかもしれません。
その人にとって、これだけは許せないというラインがあり、長い間それを踏み越していた。だけど、旦那は気づかなかった。そのようなことは互いにあるでしょうし、だからこそ熟年離婚につながるんでしょう。
意を決して怒られる、苦言を呈される状態は信頼関係がありません。早めに逆鱗に触れて、それに触れないよう努力する、もし触れてもしっかりと謝る、これさえしておけば、信頼関係は築かれるはずです。
私たろっちは、Twitterをしておりまして、プロフィール欄にリンクがあります。お酒を飲んだ時に、熱いツイートをしがちなので、よかったら月曜や木曜にご覧ください。
それ以外の日は記事作成でヒーヒー言ってるでしょうから、深夜2時ぐらいからお楽しみに。はよ寝ろや!というツッコミはさておき、実はこれ以外にもTwitterアカウントを持っております。2009年から始めているのでかれこれ10年。SNSこそ嫌いなものでつながるべきだと感じています。
SNSを通じて結婚する方もいますし、お友達を作る方もいます。実際に私もSNSを通じてお友達になった方が何人も。
しかし、それ以上に経験したのがケンカ別れです。今でこそ意見の相違は価値観の相違、価値観は人生の積み重ねだから違って当然!と思えますが、以前は建設的な議論をしようせ!と積極的に疑問をぶつけました。
それまで仲良かった人にも意見をぶつけてきましたが、不思議なもので1回の激突で簡単に関係は壊れてしまいます。なぜそうなるのか、不思議でしょうがなかったのですが、今ならわかります。
SNSは、自分の意見を出しっぱなしにしたい場であると。居心地のいい環境で自分の意見だけを肯定してほしい、そういう人が多いわけです。飴細工のようなもので、コツコツと作り上げた飴細工は衝撃で簡単に壊れます。好きなものでつながる関係性は嫌いなもの1つで壊れる。特にSNSは顕著です。
ここ最近、日本と韓国に関する問題が深刻化しています。私は、確かな知識がないもので評論したくないので、現象を紹介する程度にとどめますが、韓国が嫌いな人の強固な絆は相当なものだと感じます。
1つの政策だけで勝負したNHKから国民を守る党もそうですが、特定のものが嫌い、叩きたい人たちのネットワークの強力さをまざまざと感じます。たとえ好きなものが違っても、敵が共有されていればなんでもいいわけです。
SNSもそうですが、自分が好きなものより嫌いなものでつながる人が増えているのではないでしょうか。私が今もSNS上で付き合いがある人はほとんど嫌いなもの、許せないものが同じです。
それがいいか悪いかはわかりません。改めて言いますが、意見の相違は価値観の相違、価値観は人生の積み重ねだから違って当然です。その価値観、特に嫌いなもので合致すると、自分の人生を肯定された感じになるのかもしれません。
パートナーを探したい人は、自分が嫌いなもの、許せないものからアプローチをするのがいいでしょう。それがたくさん一致すれば、まず揉めることはなくなります。
相手の趣味嗜好が全く異なっても、尊重できるようになるはずです。学生時代を思い出してください。学校の先生の悪口で盛り上がりませんでしたか?皆さんどこかで嫌いなものを一致させようとしているのです。
確かに後ろ向きな発想かもしれませんが、高い理想、白馬の王子様を追い求めるよりかは現実的なやり方だと思います。