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終活・承継・生前対策ストーリー「第8話、2代に渡る事業承継」

登場人物

トモコ
夫の突然の死によって、O商事の社長に就任。
経理の経験しかなく、業績の維持に苦労する。

アイコ
トモコの次女。
結婚を機に里帰りを決意。
母をサポートする。

ユージ
アイコの夫。
アイコに説得され、東京から沖縄へ。
広告代理店から全く畑違いのO商事へ入社。

ヒロシ
トモコの夫。
大阪か生まれだが沖縄でO商事を経営。
急死する。

物語のポイント
①夫の急死に伴い、経理の経験しかない妻が急遽社長に就任。
②娘婿への承継。代表権は譲ったが、株の過半数は譲渡せず。なぜなのか?
③事業承継の税制改革の実態は?

夫の死

その知らせは突然だった。

「トモコさん、ヒロシがゴルフ場で倒れました。病院は○○病院です。」

その日、夫のヒロシは、ライオンズクラブの親しい友人たちとゴルフに出かけていた。

取引先との接待ゴルフではなく、友人たちだけのゴルフは、夫にとっては最大の楽しみであり、朝からにこにこと機嫌よく出かけて行ったのに。

友人のSさんからの電話では、はっきりしたことは何もわからなかったが、昨日の夜も今朝出かける際も夫の様子には、変わったところは見受けられなかった。

不安を感じながらもトモコは、「多分、大したことはないはずだ。」

と半ば自分で自分に言い聞かせながら、〇〇病院に車を走らせた。

病院に駆けつけると、直ぐにICUに案内された。

夫は酸素マスクを装着して眠っていた。

大きないびきをかいていたが、顔色も普段と変わらず血色も良かった。

酸素マスクには不安を覚えたが、思ったよりも元気そうに見える夫の姿に

トモコはホッとしていたのだが・・・

ICUに現れた医者の話を聞いて愕然とする。

くも膜下出血だった。意識を回復する可能性はまずない、出血の位置も悪く、手術をすることも出来ない。

死を宣告されたのも同然だった。

急を聞いた娘たちが、静岡と東京から帰ってきた。大阪からはヒロシの母親や姉が飛んでくる。

青年会議所時代やライオンズで親しかった友人たちも駆けつけてきた。

夫は若いころから家業である資材卸業の会社(O商事)を継ぎ、人脈を作るために、様々な会に所属して積極的に活動をしていたので、親しい友人は多かった。

医者の話を聞いてショックを受けたトモコに代わって、里帰りしてきた3人の娘たちが、夫の病室に詰めてくれて、夫の友人たちの相手をしてくれた。

皆、くも膜下出血で回復の見込みは無いと聞くと、信じられないと驚いた。

トモコも顔色だけを見ていると今にも、目を醒ましそうに見えるので、医者の言葉は言葉として、夫が奇跡的に回復するのではないかと微かな希望に縋り付いていたのだが。

3日後にヒロシは、一度も意識を回復することなく息を引き取った。

55歳、早すぎる死だった。

突然の社長就任

ヒロシもトモコも大阪出身の同級生だった。

ヒロシの父が、大阪の事業を沖縄にも展開して、父の死後、ヒロシが後を継いだ。

ヒロシは沖縄が気に入り、本社も大阪から沖縄に移して沖縄に腰を据えることになった。

地元から遠く離れた沖縄の地ではあったが、持ち前の明るく積極的な性格で、ヒロシは順調に事業を拡大していった。

学生時代からの付き合いでヒロシと結婚したトモコにとっても、沖縄での暮らしは、楽しいものだった。

3人の娘たちは沖縄で生まれて沖縄で育った。

ヒロシの友人たちと家族ぐるみの付き合いも多く、トモコにとっても沖縄は第2の故郷になっていた。

会社では、営業を積極的に行う夫をサポートして、トモコは経理や総務の面倒を見ていた。

ヒロシにとってもトモコにとっても、理想的な役割分担で会社は上手く回っていたのだ。

しかし、突然の夫の死でトモコは、社長に就任しなければならなかった。

生え抜きの社員や大阪支社の責任者を務める親族へ、社長就任を要請したが、皆様々な理由を付けて固辞した。

営業経験や沖縄での人脈が全くないままに、トモコは社長に就任した。

暗中模索の日々

社長に就任したトモコにとって、まさに暗中模索の日々が始まった。

先ずは、ヒロシの時代からの得意先への挨拶から始めたが、酒やゴルフで得意先と親密に付き合っていたヒロシと違って、相手には初対面同然である。

また、経理や総務の経験から売り上げや商品の価格はある程度把握していたが、商品知識は皆無と云って良かった。

トモコは必死で頑張ったが、売上はじりじりと落ちていき、生え抜きの社員も一人、二人と櫛の歯が抜けるようにやめていった。

そんなトモコを励ましてくれたのは、夫の友人たちだった。

人脈の無いトモコに、中小企業家同友会への入会を勧めてくれたり、商工会議所でのセミナーに誘ってくれた。

夫の友人たちの支えに励まされ、トモコは必死に頑張った。

経営者としての心構えや知識、そして夫には遠く及ばないが、それなりの人脈も築き、トモコが社長に就任して3年目からは売り上げも上昇に転じた。

そして4年目には、社長就任以来初めての黒字を計上することが出来たのである。

しかし、そんなトモコにも不安はあった。

ヒロシが亡くなって4年目。来年は自分も還暦を迎える。

ヒロシとの間には3人の子供に恵まれたが、3人とも娘だった。

長女は静岡に嫁ぎ、次女は東京で就職した。三女は東京でまだ学生をしている。

常識的に考えて家業の資材卸業の知識も経験も何もない娘たちに、承継することは難しいだろう。

それに長女同様、次女も三女もいずれ結婚して、家を離れていく事になるだろう。

娘たちへの事業承継は考えられない。

大阪の親族ももう会社にはいないし、何よりも自分より高齢である。

そう、トモコは会社を誰に承継すれば良いのか答えを見つけられなかったのだ。

娘婿への引継ぎ

その4年目の秋、次女のアイコが、結婚することになった。

アイコの勤めるデザイン事務所の得意先である中堅広告代理店の営業マンで、明るく爽やかな好青年だった。

アイコの結婚式を急ピッチで準備する中で、アイコからトモコに相談があった。

夫となるユージと話し合って、沖縄に移住しても良いと言ってきたのだ。

次女のアイコは優しい娘で、母であるトモコの孤軍奮闘ぶりと事業承継に対する不安を見過ごすことが出来なかったのである。

トモコにとってアイコの申し出はありがたい話だった。

だが、広告代理店という全く畑の違う業界で働いてきたユージが、資材卸業という地味な仕事と、東京の環境とはかけ離れた沖縄の地での暮らしを本当に望んでいるのか、半信半疑にならざるを得なかった。

しかし、アイコとユージの決意は固かった。最終的にトモコも話を受ける事にして、ユウジとアイコは、O商事に入社した。

トモコの危惧とは裏腹にユージは頑張った。

O商事の従来の業務範囲にとらわれることなく、広告代理店の営業マンとして培ったプレゼン能力と、夫ヒロシに勝るとも劣らない明るく積極的な性格で、有名なスポーツ選手との提携商品の企画や自治体の補助事業の獲得など、O商事にとって今まで考えられなった手法で、新たな市場を見出していったのである。

そして、ユージが入社して3年目。トモコはユージに社長を譲り、代表権のない会長に退くことになった。

O商事の将来をユージに託すことに不安が無かったと言えば嘘になる。

新分野を開拓したユージだったが、本業の商品の知識はまだまだ心もとなかった。

しかし、還暦を過ぎたトモコにとって、娘婿であるユージが、家業を継いでくれることは、ありがたい話であり、アイコとの夫婦仲も良く、子どもが生まれたことも決断を後押しした。

代表権を譲ったトモコだったが、株の譲渡は未だ行っていない。

娘のアイコからは、株も早く譲ってゆっくりしたらいいと言われているが、踏み切れない理由があることを、アイコはわかっていない。

O商事は資本金3,000万円で、売上が4億。

夫のヒロシや退職していった親族からトモコが引き継いだ株は、52%だ。

アイコにしてみれば、代表権はなくても過半数の株を持つ会長の存在は、社長である夫のユージを全面的に信頼していないと感じている節がある。

しかし、トモコが会長に退くと同時に株を譲渡しなかった理由はお金の問題だ。

いきなりトモコからユージに株を譲ると莫大な税金が掛かってくることをアイコは知らない。

夫のヒロシの死は突然だったし、トモコはいやおうなく引き受けざるを得なかった。承継に関する事務的な処理もトモコの知らないうちに生え抜きの幹部や親族がやってくれていた。

平成30年度の法改正により、譲渡株式の納税猶予が80%から100%に緩和され、トモコからユージやアイコに株を譲渡しても、贈与税、相続税をすぐに収める必要は無い。

しかし、それはあくまでも納税の先送りに過ぎないのだ。

将来、ユージやアイコ、またその先の承継者にとって、出来るだけ負担のない譲渡方法はないのだろうか?

顧問税理士にも相談したが、ヒロシの父親の代からの付き合いの税理士は高齢で、あまり頼りになりそうもない。

中小企業家同友会や商工会議所のセミナーでも、税制改正については、教えてくれたが、事業承継の実例に詳しいようには思えなかった。

トモコは、今事業承継の実例に詳しい専門家を探そうと考えている。

家業であるO商事はヒロシの父親の創業から50年を超える歴史がある。

ユージやその先の代まで続けば100年企業も夢ではないかもしれないと考えるようになってきた。

そのためにも、どこかに的確なアドバイスをくれる専門家はいないものだろうか?

それが自分の最後の仕事だと思うトモコであった。